八重人格者の自分は、どの一人称を使うべきなのか未だに迷っている。
「私は迷わない 」と私は言うが、『そりゃぁあなたは生まれながらの私たちなんだから何の問題もないし、フェミニスト面して女性専用車両を乗っ取ればいい』 とオレが言い返すとフェミニストの旦那はいつにも増してヒステリックなストッキングを履きつぶしながら事務的かつ筋肉質な言葉の数々をオレに向かって投げつけ、高笑いをする。
オレはますます内なるオレらしさを感じながら自称「私」のフェミニストに腕相撲を仕掛けようとするが、感情がたかぶると手足がわなわな震えて泣きそうになってしまうオレは感情を言葉でうまく表せずに「オ、おれは%¥$☆…!!」と喚き出し、しまいには子供のように泣き出してしまった。
高笑いをしていた私も母性本能を表してこのオレをなだめ、顔を洗って出直すよう促した。
髭を剃り残してきたおれは、あなたの下僕になりますと私に伝えたが、それでも"僕"という一人称だけは使わないという約束を私と取り交わした。
私たちがなぜ僕が嫌いなのかはよく分からないが、おそらく良い子ぶった猫かぶりな雰囲気が嫌なのだろう。
そんな吾輩も今となっては人間的臭みのあるストッキング女の犬になってしまったのであるが、猫も嫌いではなく、自身をネコ科のイヌだと自負している。
そんなわけで、俺にも私にも猫にも犬にもなりきれない、あまりにも中途半端で心変わりしやすい自分はもう自分が自分であることさえままならず悩み苦しんだ結果、「何もかも他人事だったらいい。どうせ自分なんて存在しないのだから。」と考え、一人称を「君」や「あなた」にすることにしたのである。そしてそれは若い頃の自己語り癖や構ってちゃん行動に対する反省でもあるのです。
みんながみんな、自分の人生を他人事だと思えばどれだけ世界は平和になるのだろう。
御意